FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

世界を変える日本人—シアトルで起業した窪田良氏が挑む難病治療薬

こんにちは (*゚▽゚*)


 ベンチャービジネスの宝庫である米国西海岸。とりわけリベラルな風土で知られるワシントン州シアトル市の日本人起業家が、いまだ承認済みの治療薬がない眼科疾患による失明を防止する内服薬の開発をほぼ成功させた。

 眼科医兼研究者であり、バイオベンチャー企業「Acucela(アキュセラ)」の創業者にして最高経営責任者(CEO)・会長・社長の窪田良氏(46)だ。

 米国で、50代以上の人たちの失明原因のトップを占め、日本でも患者が増えている「加齢黄斑変性症」。網膜中央部の黄斑が変性し、視力が低下する病気である。

 今回、アキュセラが大塚製薬との共同開発契約の下で発明し、世界初となる最終段階の臨床試験「フェーズ3(第3相治験)」を開始する治療薬は、地図状萎縮を伴う「ドライ型」を対象としたもの。加齢黄斑変性症には「ウェット型」と「ドライ型」があるが、そのうちドライ型が90%を占め、患者数は、全世界で約3000万人に上る。

 すでに米食品医薬品局(FDA)からファストトラックの指定を受け、優先的に開発すべき薬剤としてのお墨付きを得ているが、同治療薬の画期的な点は、「飲み薬(錠剤)」であることだ。注射や点眼薬と違い、保存や専門医受診が難しい発展途上国や貧困層の患者でも手軽に服用できる。最終臨床試験が成功すれば、「世界が変わる可能性もある」と、窪田氏は言う。

 慶應義塾大学医学部で博士号を取得し、眼科医として働いたあと、1997年に緑内障原因遺伝子であるミオシリンを発見。2000年に渡米し、ワシントン大学で助教を務め、02年4月に自宅地下室で起業してから約11年——。単身で始めた会社を社員80人余りのバイオベンチャー企業に育て上げた窪田氏にニューヨークで話を聞いた。

——世界初の大規模臨床試験を始める現在の心境は? 起業家として成功した実感はあるか

 「今も走っている最中だ。当初、成功の確率は、わずか3万分の1だった。だが、今では米国の眼科医も注目しており、うまくいかないわけはないと信じている。

 これまで、眼科疾患のない人への投薬などで薬の安全性を確かめ、今回、欧米で440人の患者を対象にした大規模な臨床試験を開始する段階にまで到達した。大きな効果が出れば、新薬として認定される。米国では、毎年、新しい臨床試験が800〜1000件行われるが、認可されるのは30件のみ。新薬開発には10〜12年かかる。ここまで来られたのは、運が強かったおかげだ」

——飲み薬である点が非常に画期的だと聞いている

 「アフリカの最果てにいる人でも使えるからだ。点眼薬は、気温が高くて冷蔵庫がない場所では、正しく保管できない。注射は、先進国で、高度な技術を持った網膜専門医に診てもらえる人、つまり特権階級の人たちに限られる。失明をなくすためにベストな方法は何かと考え、世界にインパクトを与える治療薬を、という考えに達した。

 だが、当初、内服薬の失明防止治療薬を2年で開発すると言ったら、社員の半分はあきれて辞めてしまった。でも、誰もが不可能だと言うものに挑戦してこそ意味がある。他人の仮説にはとらわれない」

——なぜ米国で起業したのか

 「2000年にワシントン大学に特別研究員として留学したときは、2〜3年で帰ろうと思っていた。だが、大学での上司などと進めていた研究を実用化できないものかと考え、起業した。周りからは止められたが、大学で研究するよりも、治療薬を通して、多くの患者さんを治せると思った。

 02年春に起業した際の自己資金は、日本円で100万円。その後、日本で片端から会社を当たり、光学機器メーカーから1億円を投資してもらった。米国のベンチャーキャピタルは、どこもつれなかった。04年秋には、別の日本企業などから13億円の投資を得て、社員も十数人に増えた。

 だが、お金が底を尽き、どうなるか分からない状態のときもあった。ハーバードの卒業生のうち、トップ3分の1は起業し、次に優秀な3分の1が、そのベンチャーに入り、残り3分の1が大企業に流れると言われているが、起業は、「結果」がすべての厳しい世界だ」

——やめようと思ったことは?

 「一度もない。倒れて前に進めなくなるまで、走り続けるつもりだ。起業を成功させるには、好きなことをやり、絶対にあきらめないこと。どんなに苦労をしても、ノド元過ぎれば忘れてしまう性格が幸いしているのかもしれない。

 70年代、小学校のころ、父親の転勤で東海岸に住んだとき、米国人からホースで水を掛けられるような差別にも遭ったが、今では、それが試練になったと、プラスに考えている。起業は成功しない可能性のほうが高いのだから、それを続けるには、ポジティブシンキングが大切だ。

 70年代の米国には、日本は米国のまねばかりするイミテーションの国で、日本製品は安かろう悪かろうという評価が、まだ行きわたっていた。だから、子供心に、「日本人のおかげで世界がより良くなった、と思ってもらえるような仕事をしよう」と考えた。それ以来、日本人というアイデンティティーを強く意識するようになった」

——そうした経験をすると米国が嫌になって国粋主義者になる日本人もいるが、留学で再訪した米国は、どう映った?

 「すっかり変わっていた。もはや日本は尊敬すべき国、という評価が確立していた。米国という国は、考え方を自由に変えるオープンな国だなと、ひかれた。

 僕も、子どものころは、勉強ができない、とんでもない子どもだと思われていただろうが、この子はダメだと決めつけられることなく、長い目で見てもらえた。僕自身の人生も、レッテルを張られなかったから、ここまで来ることができた。

 米国は、子どもの個性を伸ばし、多様性を許す社会なので、発想にも多様性がある。これが、米国の力の源泉だ。人種にしろ教育にしろ、多様性を失わないかぎり、この国は強いと思う。

 だからこそ、僕たちも、イノベーションで壁にぶち当たったとき、いろいろな角度から試して突破することができる。みんなが同じ考えでないおかげで、先が読めない時代でも、前例のない問題を解決することができる。ひるがえって日本は、過去の傾向と対策に基づいて問題に取り組む。高度経済成長時代は、「均質」で、みんなが同じ発想をすることが良かったのだろうが——」

——起業や出世をめぐる日米の違いは?

 「米国で最も評価されるのは、リスクを冒す「勇気」を持っている人。社会が、そうした人たちを応援する。起業は、10人中9人が失敗するほど難しいため、チャレンジする精神を後押しする気風がなければならない。

 日本では、出身大学や学歴に基づく「簿価」で評価されることが多い。レッテルを貼られがちだ。新卒時点での評価も認めるが、10年もたてば、努力をした人としない人とでは、大きな差がつく。

 対する米国では、今、何をやっているかという「時価」がものを言う。だから、瞬間、瞬間、「競争させられている」と感じる。これが一生続く。米国でやっていくのは大変だ」

——CEOとしての最大の任務は何か

 「いかにして周りの人にやる気を出してもらうか、気を配ることだ。自分の周りに、自分より有能な人を配置し、同じ目的に向かって120%の力を発揮し続けたいと思ってもらえるかどうか。 

 大切なのは、彼らが頑張っていることを、本人が「気づいてほしい」と思う前に気づいてあげることだ。僕は、いつも、こんな自分のために本当に一生懸命働いてくれていると、社員に感謝している。これは本心だ」

——日本人経営者として、米国人社員のマネージメントで最も苦労する点は?

 「文化の差を補い、英語でコミュニケーションし、やる気を持ち続けてもらうことだ。うまいジョークが出てこないこともある。

 数年前からキャッシュフローがプラスになったが、かつて経営がうまくいかず、半分以上の社員をレイオフしたときは、つらかった。「あなたが成功するためなら、喜んで辞める」と言われるのが、何よりつらい。怒鳴り散らされるほうが気が楽だ」

——夢は何か

 「この薬が成功すれば1つのレースが終わるわけだが、走り続けることに変わりはない。僕はあらゆることに興味があるので、将来のことは、まだ分からない。

 だが、人生のゴールは、地球を良くすることだ。自分がいたことで、貧困が減ったり、病気が減ったりと、世界が少しでも良くなったと思われるようなことをしたい。地位やお金は、結果として評価されるものであり、目的ではない。人のために役に立たないと寂しく感じる。満足できないのだ。お金で買えない価値を求めているのかもしれない。

 日本に恩返しをしたいという気持ちもある。多様性のある起業環境をつくりたいから指導してほしいと言われるようなことがあれば、帰国もありうる。多国籍ベンチャーに国境はない。どこに本拠があっても同じだ。

 個人的には、やりたいことをやり続けるのが最も幸せな人生だと思う。問題は、どうやって、その環境をつくり続けるか。いかに人生の早い段階で、さまざまなことにトライし、やりたいことを見つけるか。何事も、やってみなければ分からない」

*********************

肥田美佐子 (ひだ・みさこ) フリージャーナリスト

東京都出身。『ニューズウィーク日本版』の編集などを経て、1997年渡米。ニューヨークの米系広告代理店やケーブルテレビネットワーク・制作会社などに エディター、シニアエディターとして勤務後、フリーに。2007年、国際労働機関国際研修所(ITC-ILO)の報道機関向け研修・コンペ(イタリア・ト リノ)に参加。日本の過労死問題の英文報道記事で同機関第1回メディア賞を受賞。2008年6月、ジュネーブでの授賞式、およびILO年次総会に招聘され る。現在、『週刊東洋経済』『週刊エコノミスト』『ニューズウィーク日本版』『プレジデント』などに寄稿。ラジオの時事番組への出演や英文記事の執筆、経済・社会関連書籍の翻訳も行う。翻訳書に『私たちは"99%"だ——ドキュメント、ウォール街を占拠せよ』、共訳書に 『プレニテュード——新しい<豊かさ>の経済学』『ワーキング・プア——アメリカの下層社会』(いずれも岩波書店刊)など。マンハッタン在住。 www.misakohida.com

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130329-00000597-wsj-bus_all
※この記事の著作権は配信元に帰属します。



いつもありがとうございます

より良い情報をお届け致します。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック URL
トラックバック
プロフィール

vaiagura

Author:vaiagura
FC2ブログへようこそ!

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。